呆
hacca(ハッカ)です。
2月29日土曜に突然、コロナ対策で当面の活動停止が言い渡されたのよ。
...ん?
3月いっぱいはこの組織にいられるはずだった。
3月いっぱいできることをして知れることを知って楽しむぞって思ってた。
それが断ち切られて、9月から「今年で辞めます」と言っていて3月いっぱい退陣で約束した私にとっての最後の活動は、3月ではなく2月だった。
「現実ってこんなにも呆気ないの?」
退くこと自体への悔いはないけれど、もうちょっと浸れると思ってた。
3月31日まで、建物は締切、中に入っちゃダメなんだって。
正直活動は2月で停止でもこの場所への出入りはしようと企んでたんだけどな。
もうあの場所に踏み入る資格はないんだなと思った。
2年間だけど、大学のどこよりもいて、大好きだったり、あんま言いたくないけど大嫌いだったりした場所、あらゆる感情が詰まったあの場所に、もうこれから先、入ることはないんだな。
自分がどんな心境でもかならずそこにあって、
嫌でも毎日行かなきゃいけなくて、
汗水たらして、
人の顔見て、
掃除して、
笑って泣いて自分の体が自由になって、
20年の人生で一番たくさんの考えを巡らせたあの場所。
私にとってはかけがえのない場所なのにね。
入る資格はないんだって。
そして言い渡された突然の活動停止。私に、この余韻に浸る猶予はなかった。
現実なのに、あまりにも呆気ない。
hacca
かむばっく
hacca(ハッカ)です。
しこたまデカい業務を終えて、突然余裕ができると同時に虚無に襲われて、
ページを開こうと思った。
ああ、もともとここは私の感情を書き散らかすための場所なのに、
ここを開く暇もないほど目の前のことしか考えられない毎日だった。
だから充実してたか、なんて聞かれると決してそうじゃない。
しこたま頑張っては燃え尽きて、頑張るべき日に虚無だったりして。
そして、長らく続けていたことを断ち切ったんですよね、今日。
自分が凍の活動をやめると思っていなかったな。
ていうか、今でも実感ないのかも。
感情ぐっちゃぐちゃ。
長くなる!次!
hacca
co ji la se(拗らせ)
hacca(ハッカ)です。
恋のおはなし。
いやなんか…忘れられない人ってあるんやなと思って…。こんな、ありがちでこじらせ女が言うようなセリフ、私が言う日が来るなんて思わなかったよね~、3年くらい前まで。
いいんだよ。忘れられない恋。
恋どころか、忘れられない人。あああこんな今も、泣かないで私。
こうやって私が部屋でこじらせ女してこんな文章書いてる間、その人は彼女と旅行行ってるの。(笑)ストーリーで見ちゃったから。
文面では(笑)なんて書けるけど、内心笑えてないよね~そうよね~。
よね~とか書いとる時点で悲しさを紛らわすのに必死感出てる。
いつも自分から手放しちゃうのよ。あんだけあっちサイドの周りの人が協力してくれたのに、自分も前より可愛くなったのに、それでも一番好きな人には一番幸せになってほしいことは絶対だから。そして、その人が幸せになるにはきっと私じゃダメだから。
その人が幸せであることを祈ってるのよ。
さすがにこの歳でも引きずるとは思ってなかったけど。
なんでかなどうしてもどっかで考えてるんだよな、あなたのこと。
彼女さんをいつまでも大切にして、宇宙一幸せになってね。
もし別れてしまったら私の感情が堰を切ったように溢れて手を伸ばしちゃいそうで怖いから、どうか、今のまま、今よりずっと、幸せになってください。
あぁ、ほーんとにいい思い出なんだぁ。
しらないうちに、もう3年。
P.S.タイトルもこじらせにしてみた。一見フランス語っぽいでしょ?笑 この記事動揺しすぎてミスタイプめちゃ多かった。この際なのでこじらせ女っぽい画像をわざわざ撮って載せますね。
…そういえば、好きな人だけじゃなくて、私も幸せにならなきゃ。
hacca
■
hacca(ハッカ)です。
やりたいことの順序を考えるのが好きなんだけど、今はもっぱらテストとゼミの資料作成でブログに来てなかったな
でも忙しい中にも頭で考えること心で感じることはたくさんあって
それは人に言いたいような言いたくないような。
とりあえずテスト勉強、今日も頑張ろう。
また何か話しに来させてください。2/13まではテストの羅列(笑)
hacca
■
hacca(ハッカ)です。
私にとってのこのブログの意義。
媚びるつもりはない。無理に読まれなくていい。
世の中にはこんな人間がいるんだよ~って存在証明。
誰にも話さない心のうちに秘めた感性の落とし物箱。
誰かにそっと「素敵だね!」と言ってもらえたなら其れ幸い。
…ここまで書いて、リアルの私もそれだなと思った。
来るもの拒まず去るもの追わず。
人に自分を合わせている人を見るのが苦手。
人に合わせて自分がつぶれるくらいなら
その人とは合わなかった、それだけ。
私は私の生き方をして、あとは偶然を待つのみ。
もちろん人に合わせて幸せを得られる人は
そのままでいい。
自分の生き抜き方を皆模索してるんだね。
20歳そこそこで言うセリフじゃないけど、
自分を愛するって
自分の生き抜き方を探してあげることなのかもしれない。
未来の自分への橋渡し。
hacca
■
hacca(ハッカ)です。
ハッカって、漢字で「薄荷」って書くんですね。
まぁ早く寝ろって話なんですけど。(今何時よ)
大学生っぽい記事になった。
自分は今、たまたまかもしれないけど、やりたいことがみなぎってる時期にいます。
とりあえずはゼミの発表とテストと検定かな~、
終わったら語学留学の語学の予習も。
留学後一休みしたらITパスポート検定とインターンシップ。
一か月前の今頃は色々と自分がダメダメでポンコツで、カラ元気製造機だった。
カラ元気で自信を呼び起こすけど、組織のメンバーからは頼りにされていないだろうから、結局本当の自信は無かったよねっていう時期でした。自分は伸びたいけど周りに見切りつけられてる限り無理だろうなと思ってた日々。もう潔いほどに、自分は自分が楽しければ何も恥ずかしくない、という思考でした。心はしっかりすさんでたよ。
夏休みは組織に縛られすぎてカラ元気出す気力もないほど毎日が沈んでたんですけどね。組織と言っても宗教団体とかじゃなくて公的な組織ですよ。
そこからの復活の過程も、記憶が瑞々しいうちに!と思っていつかここに綴る日が来るんだろうか。おもんない記事になりそうやけど。記憶は簡単に褪せてしまうもんね。
そんで、その組織も、今は一つの山を越えてのびのびできる時期。
組織最優先で動いてた日々からの脱却。
私個人を軸にすると、色んなものが見えてきた。
自分の可能性を自分で考えて、口元が緩む。
やりたいこととできることの需要と供給が、
ようやく整ってきた。
環境が変わると別人になるね~!
こんな日に限って外は雨、この先一週間は雨だって気象庁が言ってる。
でも今、それにひるむ私ではないことは明確。
明日は何が見えるんだろうか。
めーっちゃつまらん記事書きやがって、と私の中の私に呆れられたところで、おやすみなさい。
hacca
ハッカシロップ 2020 続き
hacca(ハッカ)です。
一つ前の記事が「ハッカシロップ」初見、高校3年生の私の話。
そしてこの記事は、高校3年生で抱いた感情をそのままにしたいがために、ずっと聴くのを避けていた「ハッカシロップ」が、今日突然脳内で再生された、今日の私の話です。
当時の私は大学受験を終えていて、記念受験であるセンター試験への勉強をしつつも、時間よ止まれなどと唱えながら残りの高校生活を満喫することに奔走していた。
日々が眩しかった。校舎から見る毎日の夕陽は家から見る夕陽よりずっと眩しくて、心洗われるとともに、必死に目に焼き付けようとしていた。
夕陽を見るとき、頭の中では決まって「ハッカシロップ」が流れていた。
______そんな過去を、今思い出す。
本当は、高校卒業以後にこの曲を感じたくないと思っていた。
この曲に抱いた当時の感情を穢してしまいそうで。
何のストレスなく、皆が大好きで地元が大好きで、高校生活をただ満喫させたい高校3年生のあの時期には、いつだって「ハッカシロップ」があったから。高校卒業以後の惨めな自分と、この瑞々しい、新鮮な、透き通った曲を結び付けたくなかったし、たくさんの現実を知った現在の自分が、この曲の再解釈をしたくなかったから。
この曲の解釈は、いつまでも高校生の自分の解釈のまま、蓋をしておくつもりだった。
そんな大切な曲が今日、脳内で突然始まったかと思えば、ずっと頭から離れなかったわけで。こんなの高校卒業して以来初めてだった。。。びっくり。。。
自分のかねてよりの心配をよそに、あっけなく今日、2年振りに脳内再生され、まじまじと味わわざるをえなかった「ハッカシロップ」に誘われて目に浮かんだ光景は、何ということだろう、澄み渡っていた。
金とも橙とも桜とも言えぬ、混ざり合うような淡い夕焼けと、シルエットだけ感じられる数えきれない数のビルたちが、自分の予想より少し狭い視野に、確かに広がった。
そういえば最近は、高校生の頃の澄んだ自分には到底追いつけぬと言えど、夏や11,12月と比べて余裕があって、思考が豊かな時期である(だからブログを始めた)。
だから、これが私の、「高校卒業後版 ハッカシロップ」を感じるタイミングだったのかもしれない。
この曲が今日脳内で突然流れたとき、焦ったし慌てたし、一刻も早く掻き消そうとした。「ハッカシロップ」を穢す真似は避けたいことなど分かっていた。
それでも脳内で一日流れ続けていたのは、もしかして偶然じゃなく必然?今日がタイミングだったのかな。そう考えると、今日はまだこの曲に心と身を委ねてたゆたうことも、必要な時間で、再び曲を感じるためのきっかけだったのではないかと思う。
「ハッカシロップ」の中にたゆたっている間、確かに微かな幸福に包まれた自分がいた。
今日、身を委ねるだけで、やっぱり再解釈はしなかった。
この曲に出逢えてみずみずしさを感じられたこと、今日突然この曲が脳内再生されても無事ゆったりと幸福感に浸れたという事実だけで、万々歳なんです。
あ、余談ですが日食さんファンの皆さま、
「ハッカシロップ」と「seasoning」、
全く別の曲だけど併せて聴くと
なんだか幅が広がるのでおすすめですよ。
この時期のこの気持ちとセットのこの曲!みたいな曲、人は何かしらそれぞれの心にもあるのではないかと思っています。この恋はこの曲ばかり聴いてたな、とか(笑)
一つの曲で、当時を思い出して幸せにも悲しい気持ちにもなれる。
でもその感情の記憶って、刻一刻と色褪せてゆくと思っていて。
それをなるべくみずみずしく思い出したくて、文章にしました。
、、、ブログに綴るために思い出させたのかな、、、
何かの力によって。神様かもしれないしタイムスリップしたいつかの自分かもしれないし今の潜在意識の自分、、、この辺の考察もあまり触れないようにしよう。
ここまで一通り思案して、「ハッカシロップ」の記憶の蓋をまた閉じた。
hacca